「汚れ」は落ちるのか

 うちでは一年中、水出しの麦茶を作るので、常に二つの麦茶用ボトルを回転させている。麦茶の消費量が増える夏場は、もう一本小さいボトルを間に挟んで麦茶を作る。

 一本空いたらすぐに補充しなければならないので、すすいですぐに水出しパックを入れて冷蔵庫に戻す。そうすると、ボトルを念入りに洗うタイミングがない。これだとだんだん茶渋というか、水垢というか、とにかく少しずつ汚れがたまっていってお茶がまずくなる。

 つまはやたらとブリーチをしたがるので、お茶は作らないくせに油断するとブリーチをして、そのまま、ボトルを放置している。長時間放置するとブリーチ液の臭いがつくのであまり好ましく思えない。また、実際のところブリーチではこびりついた汚れは取れない。ここまで来ると、クレンザーをつけてこすっても落ちない。

 ある日、ふと思いついて洗剤を一滴落として水を入れてしばらく放置してみた。こすったところでそうそう汚れは落ちないし、毎度毎度洗う気にはとてもなれない。ところが、洗剤を一滴落として放置するだけでも、結構汚れが落ちることがわかった。

 毎日洗わなければならないものの一つに風呂がある。横着をして水で流しただけで湯をはると、入った時に浴槽がヌメヌメするのがわかる。面倒でも洗剤をつけて洗わなければならない。このことこら、洗剤をつけて洗うか洗わないかで、体でわかるような違いが出てくるものだと知った。

 それなら、洗剤を垂らしてつけおきするだけでも何らかの違いがあるのではないかと思い、試してみたところ、実際に効果があった。ボトルのふたの方も、ボウルに張った水に洗剤を垂らしてつけておくと、茶色い汚れがボロっと取れた。

 底の方まで洗いきれなかったり、そもそも口が細くて中を洗えなかったりする水筒やペットボトルも、洗剤一滴でわりとお茶の美味しさを保てることがわかった。最近では、毎回とは行かないまでも、すぐにお茶を作るのが面倒な時や、容器をすすぐのすら面倒くさい時には、洗剤を垂らしておくようにしている。

 こうするようになって、また別のことが気になるようになった。一滴とはいえ、洗剤を垂らして水を入れると、結構泡立つ。泡立った方が汚れは落ちやすいのかなとも思うので、それは構わないのだが、いったん泡立つと、すすぐ時にも泡が残る。何度かすすいでいれば、泡は見えなくなるものの、まだ洗剤が残っているのではないかと気になる。洗剤が残っているようでは、汚れが残っているよりも健康上はまずいのではないかと思う。こうなると、洗剤そのものが、最終的に取り除くべき「汚れ」ということになる。

 よほど丁寧にすすがない限り、洗剤は落としきれないように思う。しかし、そもそも、きちんと洗うのが面倒だからこそ、洗剤一滴までで済ませているのだ。風呂場のようにシャワーのホースが付いていれば、容器をひっくり返して洗い流せば済むのだが。

 このように考えはじめると、洗濯機で衣類を洗う時も、洗剤はどこまで落ちているのかなと思う。そもそもの「汚れ」も完全に落ちているわけでもないだろう。洗剤も「汚れ」なのだとしたら、「まだまし」なものとして、「洗剤の汚れ」に置き換えているのだという見方もできる。そう考えると、洗剤は人体に害のないものを用いるべきだし、「汚れがよく落ちる」ということの意味も考え直す余地がありそうだ。