望月由紀「言葉の暴力と主体性——ジュディス・バトラーにおける主体化論」

 「天職=calling」とは、何かの呼びかけに応えて使命を負うことなのだという。呼びかけに応えることを、呼び声を受け取ることと解釈すれば、これは贈与や交換と通ずる意味を帯びてくる。

 呼びかけといえば、アルチュセールの「呼びかけ」とはどう関係するだろうか。主体化権力として語れば、主体化はネガティブな意味合いを帯びてしまうが、「天職」としてなら必ずしもネガティブなものではない。だとすれば、問われるべきは呼びかけの意図であり、呼びかける側の主体性の宿るところが支配の権力であるから問題なのだろう。

 そのようなことを考えながら、アルチュセールの「呼びかけ」の意味を確認しておこうと検索していて出てきた論文だった。バトラーの話とからめて主体の形成過程が論じられており、とても示唆的だった。アルチュセールの「呼びかけ」はやはり権力論に絞り込まれた用法であるものの、他者との関係で主体が形成される側面を分析していく分析枠組みには可能性が感じられた。これを二者関係ではなく、状況の分析まで含めてやれば社会学的な応用が見込めるかなり有効なアイデアだろう。

望月由紀, 2010「言葉の暴力と主体性 ――ジュディス・バトラーにおける主体化論」嶋津格編『犯罪・修復・責任』千葉大学大学院人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書第185集: pp.24-32.( https://opac.ll.chiba-u.jp/da/curator/900067107/