Appleから学ぶ分断工作

 2013年9月にリリースされたMac用のOSX Marverics、iPhone用のiOS7。デバイスのスペックが足りていれば、どちらも無料でアップデート可能であり、Appleの「粋な計らい」のように思える。iOS7搭載の新規購入のiPhoneには、Apple製のOfficeソフトであり、これまで有料だったiWorksが無料でダウンロード可能になった。iOS7のリリースに伴って、iCloudのサービスにも変更があり、iWorkアプリも同時にアップデートされた。

 無料と言われても、パソコンのOSは下手にアップデートすると動作が重くなって仕事にならなくなるので、アップデートはためらわれる。新しいOSではそれまで使えていたアプリケーションが使えなくなる場合もある。思い切りよくパソコン本体やアプリケーションを買い替えるわけにもいかない。一方、iPhoneの方は、2年経てば機種変更の時期となるので、それほど気にせずにアップデートしてしまう。バッテリーやホームボタンなど、デバイス自体にガタが来ている時期でもある。iPhoneのOSはすぐにアップデートし、もともと購入してインストール済みだったiWorkも深く考えずにアップデートした。

 ところが、ここに大きな落とし穴があった。iOS7でアップデートしたiWorkは、パソコンではOSをMavericsにアップデートし、さらにiWorkをアップデートしなければ、iCloudでのiPhoneとMacの連携ができなくなっている。その代わり、といっては何だが、ブラウザ上でiWorkファイルを更新できる機能がiCloudに付け足されている。これは一見便利なのだが、β版という位置づけであり、特に日本語対応が遅れていて、表示が汚らしくて、実用的でない。パソコン用にアプリを購入しなくても実質的に使えるようになると考えれば、iWorkを購入していないユーザーにとってはうれしいことかもしれない。しかし、iWorkを購入していないユーザーはもともとiWorkを必要としていない人たちなので、これでよろこぶ人がどのくらいいるのかはよくわからない。そして、iWorkを必要として、購入のうえで使っていた人たちにとっては、アプリと同様に使えるわけでもないiCloud上のiWork機能にどれくらい意味があるのかもよくわからない。

 ここで困ったことになるのは、MacのOSをアップデートしたくないのに、うっかりiPhoneをアップデートしてしまった人だ。iCloudによるiWorkの連携は重宝していたのに、iPhoneをアップデートしてしまったばかりにMacでiWorkがこれまで通りに使えなくなってしまった。もちろん、その機能を使いたければMarvericsもiWorkも無料でアップデート可能だし、金銭的負担なしで新しいOSが手に入るとなれば、Appleの「粋な計らい」のようにも思える。しかし、最初に述べたように、下手にパソコンのOSをアップデートすると、動作が重くなったり、それまで使えていたアプリが使えなくなったりする危険がある。そうなると、パソコン本体やアプリを最新のものに買い替えなくてはならなくなる。

 このようなジレンマは、あまり一般的ではないかもしれない。しかし、「あまり一般的ではない」ような「似たようなジレンマ」はあちこちで発生しているのではないだろうか。一見すると「Appleの粋な計らい」のなかで、結果的にはいろんな不具合が個別的に大量発生しているかもしれない。不満を述べようにも、各ユーザーが抱えさせられた問題は個別化されてしまっており、問題提起として一般化することが非常に困難になっている。

 「無料」「新機能」をアピールしながら、わざとジレンマを仕込んで「買い替えコスト」をユーザーに背負わせる意図的な戦略としか思えない。なるほど、こんな形で消費者は分断されているのだなと思った。

宮本常一『空からの民俗学』(岩波現代文庫、2001年)

 日本の土地を改良し、日本の海を活用してきた人びとの歴史。

 イカを追って遠くまで船出したり、そのままその土地に居着いてしまったりする人びと。農業を営みつつも、海の恵みを得るために海辺に住む。

 この国の人びとはそのようにして数千年の月日を生きてきたのではないか。海や大地の恵みを育て、知恵をしぼって守りながら暮らしていく。

 資源が尽きて、あるいはグローバル経済に取り残されて、しかし、そんな暮らしに戻るのだとしても、何も困ることはない。むしろそんな土地に生まれたことを感謝してもいいくらいではないか。

宮本常一『空からの民俗学』(岩波現代文庫、2012年)

「駅前風景」

 明治になって全国にわたって鉄道が敷かれるようになると、大きい駅の前に旅館を建てるふうがおこった。小さい駅で、客の乗降の少ないところではせいぜい茶店ができる程度であり、近くに大きな町があっても駅が田圃や畑の中にできた場合には、あまりりっぱでない旅館ができた。そういう旅館は汽車を待つ時間をひと休みしたり、夜下車しても土地に不案内なために行き場に困って泊ったり、また行商などしている者が常宿にしたりするものが多かった。そういう宿はたいてい宿泊料が安く、気軽に泊られた。そして戦前には相宿をさせられることも多くて、木賃宿とかわらないものが少なくなかった。私はそういう宿は相客がとても面白かった。いろいろの話を聞くことができたからである。[宮本 1979=2001:181]

宮本常一『空からの民俗学』(岩波現代文庫、2001年)